東京養育家庭の会 理事長 能登 和子
(Tokyo里親net 2024年1月号より)
新年明けましておめでとうございます。
コロナ感染症が五類に変わったと思いましたら、今度はインフルエンザの爆発的流行。何かと慌ただしい年末でしたが、皆様、少しは落ち着いて新しい年を迎えていらっしゃいますでしょうか。
我が家は昨年三月、里子を満年齢で解除した後、夫婦二人の静かな生活を送っておりましたが、年末に「ビックニュース」が届きました。それは十四年前、十五歳中学三年で受託した男の子M君のことです。
この子の母親は私が児童養護施設で働いていたころ担当していましたが、中学を卒業すると解除となっていました。十年ほど経過して突然「妊娠している」と連絡がありました。二人の子どもを抱え、大きなお腹をした母親に会いました。住む場所もない状況でしたので、二人の子どもは私の働いている施設に引き取り、お腹の大きな母親は婦人保護施設に入れ出産を待ちました。生まれた子がM君です。
乳児院に入所し二歳過ぎて、兄弟のいる同じ施設に引き取りました。養育家庭に委託をしましたが、うまくいかず一年で解除となりその後は施設での生活でした。高校受験を前に我が家への委託となりました。高校は本人があこがれた吹奏楽部が盛んな学校に行きましたが、二か月で「いじめ」に遭い不登校になってしまいました。その当時、施設では高校を退学すると施設も退所になりましたので、里親に成り立ての私も委託を解除し、自立援助ホームに措置変更としました。自立援助ホームに行っても職員への反抗的態度があり、アルバイトも続かない状況だったため我が家の近所に引き取り、精神科ヘの通院をおこない「広汎性発達障害」の診断を受け、生活保護を受給することとしました。
それから十年、児童相談所の福祉司さん・精神科医の先生・調布市にある居場所の責任者の方や、いろいろな方にお世話になりながら、無事高校卒業認定を取得しました。
三年位前から新潟のスキー場でアルバイトをし、一時的に生活保護を停止し働いていたことは聞いていましたが、昨年十二月十八日完全に生活保護を抜け新潟のスキー場に就職が決まり巣立ちました。本人は「三十歳を前に決意した」といっていましたが、生まれる前からの付き合いでこんな嬉しいことはない年末の出来事でした。
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